シマニテ・ログ 【タビノタヨリ】LETTERS 15
時代に尽くした一輪の花
黒船が描いた碧の航跡
黒船来航の地、下田。
実はその少し前、黒船がひそかに寄港していた場所がある。

― 南の小笠原諸島である。

この寄港の記憶は、港近くに立つ碑とともに
島の人びとのあいだで、綿々と受け継がれてきた。
そう、南からめぐり来る碧き海の道

それは、かつて黒船が波に描いた航跡でもあった。

白き牛乳と一輪の花

黒船の影が国を揺らしたころ、
異国の人は、下田の地に一杯の白き牛乳を求めた
― タウンゼント・ハリス。
それは、この国で初めて
命をつなぐ白き一杯が
喉をうるおした時として
今も語り継がれている

その滞在の、ほんのひとときに、
そば仕えとして呼び出された一輪の花がある。
異国の風にさらされ
時代のはざまに揺れながら、ひとり咲き
人知れず散った花、
人はその花を、いつしか「唐人お吉」と呼んだ
人の波にさらわれ
変わりゆく時代にただ尽くした時でさえ、
その足跡はかつて、影のように語られていたという・・・
けれど遠い後の世に
名もなき名に耳を澄ませた一人の心があった
流れゆく川の水面に
海を越え、
人が人として尊ばれる世を求めて
言葉を尽くし、対話を重ね、
それでもなお、異国の地で道半ばに倒れたひと ―
「われ、太平洋の橋とならん」
若かりし頃、熱き志を語った人物は、新渡戸稲造
人の世の名誉や不名誉の儚さを知る者は
国のちがいや肌の色ゆえの
かたよったまなざしを受ける痛みも知っていた。
だから、世の目には、いと小さく映る、
ただひとつの命に宿った痛みを、
見落とすまいとしていた。

このまま、冷ややかな海の底に沈められたままでよいのか
孤独に消えゆく花に、もう一度、ぬくもりを。
ゆがめられた物語に、静かなまなざしを。

「から竹の 浮名の下に 枯れはてし 君が心は大和撫子」
そう歌に詠んだ新渡戸の胸に
去来したであろう一つの願いが
流れゆく川の水面に、そっと浮かんでくる

時を超えて結ばれるもの

― お吉地蔵
それはただ、ひとつの命がここに
「在った」という証を
心の手で抱きしめるもの。
忘れてよい命など、きっとどこにもないのだ。
人々が華を手向け、祈りを捧げるたび、
一輪の花は、もう一度、静かに咲き直す

誰にも知られぬ場所で尽くした
わずかな日々と、
それを誠の目で見つめようとする情が、
時を越えて、たしかに結ばれている。

新渡戸稲造が最晩年の旅路のなかで、
その足を伊豆下田へと向かわせたもの。
それは、開国の陰で、
ひとり寂しく終わりを迎えた
ひとりの女性のことを、
おもんぱかる心だったのかもしれない

川の流れは海へと続き、
やがて、すべては一つの時へ還っていく。

忘れられぬものとして。

遠い時代から今へと、
今から未来へ向かって
やさしさに満ちた誓いの風が、
ここ下田を、
今日も絶え間なく吹き抜けてゆく。

〈旅のメモ〉
新渡戸稲造 ― 1900年にアメリカで出版された英文著書『武士道(Bushido: The Soul of Japan)』で、日本人の道徳の源泉を「武士道」に見いだし、その精神を世界に向けて語りかけた人物。教育者として建学に携わり、初代学長を務めた東京女子大学の第1回卒業式(1922年)では、「個性を重んじ、世のいわゆる最小者(いと小さきもの)をも神の子と見なして…」と語っている。お吉地蔵には、新渡戸稲造の母の命日が刻まれていたという。お吉の命日である3月27日には、供養祭「お吉祭り」が行われる。このころに、大島桜系統の山桜「お吉桜」がそっと咲き始める。お吉桜は1920年代に見いだされた品種と伝えられている。※お吉地蔵撮影日:4月上旬



