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シマニテ・ログ 【タビノタヨリ】LETTERS 10

神の旅路 新島編

心の待ち合わせ場所

ここは渋谷駅。
街並みと人々の顔ぶれが日ごとに変わりゆく時代の中にあっても、
人ごみをすり抜けていく風が変わらないのと同じで
それだけは同じ表情で、街を見つめ続けている。

コンクリートの谷間で、
行き交う人々の出会いと別れの物語を見届けてきたこの石像が、
じつは遠い海の上に浮かぶ島からやってきたと知っているのは
このざわめきの中で、いったいどれくらいいることだろう。


この石像の名は「モヤイ」。

もともとは、島の人々が力を合わせて生きるときだけ口にした、
あたたかな合図の言葉だった。
その言葉にふと耳を澄ますとき、
私の中で「新しい島」という言葉が、
地図の中の点から、ひとつの物語に変わる。
そのまなざしの向こうに、白い海岸線が、かすかに揺れはじめる。

夜の竹芝で船に乗り込むとき、デッキの風の中に、
どこかで聞いたことのある潮の詩がまじる。
かつて火をまとって海を渡った神と、
いま東京から島へ向かう旅人との足音が、
静かに重なろうとしている。

やがて船室が夜の静けさに包まれると
窓の外の黒さだけが、ゆっくりと存在感を増してくる。
夜のしじまにあって
眠れないままの心の奥にこだまする
船と潮風のビートが、
まだ名前のない旅の予感を、
何度もやさしくたたき起こしてくる。

世界の色が変わる時

東の空の底が、すこしだけほどけはじめたころ、
デッキに出ると、黒い水平線の向こうに、
雲とも影ともつかない帯が、ほのかに浮かびあがる。
そこに、最初に色を持ちはじめたのは、空でも海でもなく、
夜の中からいち早く光を拾い上げた、白い岸壁の面だった。

白い砂が、まぶしいほどの光を跳ね返している。
波打ち際には、砕けた火山岩の粒がきらきらと散らばり、
ひとつひとつが小さな鏡になって、空の青を映している。

見上げれば、どこまでも澄んだ青。
見下ろせば、ミルキーブルーに揺れる海。
そのあいだに、焼き出された白だけが、くっきりと線を引いている。

むかし、神は火をまとって海を渡り、
潮の泡を集めては、ひとつ、またひとつと島を焼き出していった。
四つ目の泡が白く固まり、海から静かに立ち上がったとき、
神は、その白さゆえにその島を「新しい島」と名付けたのだった。
黒いマグマの記憶を、そのまま光に変えたような、
眩しい白のかたまりが発するまぶしさの向こう側で、
うつむいていた視線を、いつのまにか前へと向けていく。

ここでは、心が先に笑顔になる。
理由を探すより早く、
光と白と青が、まるごとこちらを包み込んでくれる。
ただ立っているだけで、
世界の色が、色鮮やかに見えはじめる。

心新たにする島

光に焼かれ続ける白い崖の上で立ち止まると、
羽伏浦を見下ろす展望台から、
白い砂浜が南へと細く長くのびていくのが見える。
そのはるかな弧をたどる視線の先で、
遠い火の旅路と、今も変わらず佇む神々のまなざしとが、
同じ青い風に溶けていくのがわかる。

港町の奥では、
十三の静かなまなざしが、
海を渡る神の足跡とこの旅路とを、
ひとしく見守っている。
心を一瞬で解きほぐしてくれるこの光は、
神の足跡と、その家族たちの祈りが、
空中でふっと混じり合った光でもあるのだ。

波の音は、遠くから寄せては返し、
足もとで崩れる白い泡は、すぐにまた海の青に溶けていく。
その繰り返しを眺めているうちに、
胸の中に固まっていた思いも
少しずつ、水平線の向こうへ押し出してくれるように思える。

港をあとにするとき、
波間に描かれる白い軌跡が、
海に浮かぶ見えない滑走路となる。

その先へと運ばれていくのは、
過去の置手紙や、
都会のざわめきの中で行き場を失った想い。

それらをそっと抱きしめながら、
心は少しずつ、
新しい空へ向かって離陸していくのである。

再び渋谷駅で待ち人を迎えた時、
都会のざわめきの中で交わされる、
小さな「待ち合わせ」や「ただいま」のひと言が、
神々から授けられた島の「モヤイ合う」心と
どこかでかすかに
つながっているのが、きっとわかるだろう。

その瞬間、あの島を思いながら、
思わず顔をほころばせて
心新たな一歩を踏み出している自分に気付くのである。

その笑みの奥でささやかに輝くその島の名を、新島という。

モヤイが辿る火の道

渋谷駅のホームに、特急の到着を告げる静かなアナウンスが響いていた。
やがて、深い青が艶めく特急列車が滑り込むように姿を現す。

旅人がその車両へと足を踏み入れた瞬間、
その旅路は、すでにひとつの“道”へと変わりはじめていた。

そして旅人が終着駅の改札をくぐり抜けた時、 
新島のモヤイから伸びる一本の糸が、
渋谷の先へと続いていたことを悟るのだ。
―その道は、はるか昔からそこに在り、
新島のモヤイへと続く火の記憶を秘めている。

その糸は、伊豆の下田へも、しなやかに伸びているのだ。

神が伊豆から島々を創りだしたという、その始まりの地。
島を創る旅を終えた神が、再び還り着いた港でもある。
時を超えて、人と人を結ぶモヤイの心もまた、
下田と新島をつなぐ火の道を静かに辿っている。

やがていつの日か再び、想いが島へ近づくにつれて、
風と波と、社の静けさのなかに、
モヤイ合う心を響かせて、旅人を待っているのである。

<旅のメモ>
この島には、神の旅路を見守る十三の名が並ぶ社がある。その中央に立つのは、海を渡った神の名だ。
そして友好の証として新島村から贈られたモヤイもまた、神の糸を再びつむぐかのように伊豆下田へと渡り、人と人とを結ぶ島の心根を今に伝えている。